2009年06月30日

1975年民衆に根強い人気のあった水滸伝について

1975年民衆に根強い人気のあった水滸伝について、当初の首領である晁蓋を毛沢東は自らと重ね合わせ、晁盖が途中で死亡し、後を継いだ宋江が朝廷に投降したストーリーを批判した。さらに、四人組は鄧小平を宋江に比定し、「水滸伝批判」を鄧小平攻撃に用いた。

ソ連等、国交がある国の多くとも関係が断絶し、交流があった国はアルバニアなど数カ国に過ぎず、10年以上の実質的な鎖国状態を招いたため、中華人民共和国の文化や経済の近代化は大きく遅れることになった。
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このような中で紅衛兵が、長年の盟友的存在である北朝鮮の金日成主席を「修正主義者」と批判し、中朝関係が冷え込んだことがあった。なお、ポル・ポト派(クメール・ルージュ)の支配の下、自国民の虐殺を行った当時のカンボジア(民主カンボジア)は、文革中も中華人民共和国の親密な友好国であった。

中国共産党と日本共産党との関係にも亀裂が生じた。毛沢東は「日本共産党も修正主義打倒を正面から掲げろ」「日本でも文化大革命をやれ」と革命の輸出路線に基づく意見を述べた。この影響を受け、日本共産党からの分派が生まれた。その最初のものが、山口県委員会がほぼ丸ごと移行した日本共産党 (左派)である。日本共産党は「内政干渉だ」として関係を断絶した。その後1998年に日本共産党と中国共産党は「誤りを誠実に認めた中国共産党側の態度」によって32年ぶりに関係を修復した。

また、このような鎖国ともいえる状況下にあったために、諸外国、特に西側諸国における文革に対する報道や評価は混乱を極め、その中で朝日新聞の中国報道問題のような誤報、誤評価も相次いだ。

2009年06月12日

心的な力と力の葛藤がくりひろげるダイナミズムを精神力動

心的な力と力の葛藤がくりひろげるダイナミズムを精神力動(psychodynamics)といい、のちにアメリカで発展した力動精神医学の基盤となった。フロイトの心的決定論によれば、正常な人も精神病的な人も、幼児も成人も、みな同一の心的法則にしたがって精神活動が営まれており、このことを精神力動連続性の原理という。

治療者の分別 [編集]
倫理というよりも、精神分析という行為を成り立たせる要件の一つとして、フロイトは治療関係における治療者の分別(独: arztliche Diskretion)を説いた。治療者の中立性、治療契約の遵守、治療内の秘密の厳守、患者を至適な願望や要求の対象にしないこと、患者も治療者も一定の禁欲を互いに守ること(禁欲規則)、患者の自発性と訴えの真実性を最優先すべく治療者の受け身性(英: Passivity)を維持すること、などがその内容である。
これに対しては、「治療者も一人間なのだから難しい」「科学的でない」といった反論が、フロイトの弟子のあいだからも続出した。一方では、たとえば治療技法を用いれば、治療者の解釈を患者が受け容れない場合、「それは治療抵抗だ」「否認だ」だということによって患者の思想や人生をも操作・支配できることになるので、この概念なしには精神療法が成り立たないということも、論理的に理解されるべきである。

訓練分析 [編集]
精神分析家になるには、国際精神分析協会が認定した訓練分析士による一回50分の訓練分析(Training Analysis)を週4回、2年以上にわたって受けるのが原則である。これは教育分析とも訳される。フロイトは、友人の耳鼻科医フリースを訓練分析者とみなして自己分析を行い、これを以って訓練分析を受けたのと同じ体験を持った。
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古い時代の精神分析では、精神科疾患に対する診断が各国、各地、各個人医によってバラバラであった時代が長く続いた。したがって同一の患者が、日本で、ドイツで、アメリカで、アフリカで、まったく別の診断を下されるという事になり、国内でも東大式診断、京大式診断をはじめとする分裂した診断が普通に行われていた(正しくは現在もそうである)。
当然のことながら治療結果に関する測定方法論も寄せ集めやでたらめであり、それらの時代の治療への肯定も否定も、ほとんど全て科学的立証として無意味なものであった。精神分析を肯定する論文も、否定する論文も、ほとんどはこれらばらばらの診断基準、恣意の治療結果測定基準から来るもので、それゆえに様々な心理療法が、異なる学派の心理療法の専門家は他の学派の心理療法の専門家を自由に批判した。しかし今日のエビデンスベイスドの理念に従えば、それら古い時代の肯定・否定的文章のどちらからも、臨床的効力に関して言及できることは何一つない。

例えば指導的なアメリカ人精神科医であるE. Fuller Torreyは、その著書「Witchdoctors and Psychiatrists」(1986)の中で、精神分析の理論は伝統的な土着の「呪術医」やErhard Seminars Training(EST)のようなオルタナティブな近代「カルト」と同程度にしか科学的根拠がない、と述べているが、1980年代のアメリカの精神科医学は今日からみて幾らか呪術的であり、今日の精神科医学も後世から見ればずいぶん呪術的と言われるであろう。ただしいまだに脳の内部での物理的現象がどのように心理的に具現化するかは解明されておらず、今日の精神科医学も雑誌Scienceに載ったローゼンハン実験(Rosenhan experiment)など仮病の精神病と実際の精神病の区別をつけることができない状態にあることが明らかになっている

2009年06月08日

東京都制(昭和18年 法律第89号)の施行により

第二次世界大戦中の1943年7月1日、東京都制(昭和18年 法律第89号)の施行により、東京市は東京府と合併され「東京都」となり、市制と自治権を剥奪された。東京都官制(昭和18年 勅令第504号)により「東京都長官」が長官とされ、東京都を設置した内務官僚である大達茂雄が、その第1代に任命された。

東京都制によって都議会が設置され、旧東京市内の各区にも区会が置かれたが、特に区部に対する国の統制は強力だった。
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1947年4月、日本国憲法第92条で予定された法律として地方自治法が公布された。この中で都道府県は、以前の「中央政府の下部機関」という立場ではなく、市町村と同様の「普通地方公共団体」に位置づけられ、議会議員のみならず知事も選挙によって選ばれることになった。ただし、1947年4月に実施された最初の知事公選はまだ成立していなかった地方自治法ではなく、前述の府県制(道府県制)・東京都制改正で地方長官について公選制が導入されたことを根拠に行われた。この時点で、1都(東京都)1道(北海道)2府(京都府・大阪府)42県。その後、1972年にアメリカから返還された沖縄に沖縄県が置かれ、再び43県となっている。

都道府県は、普通地方公共団体として市町村と対等であるが、都道府県は市町村を包括する広域の地方公共団体として、広域にわたるもの、市町村に関する連絡調整に関するもの及びその規模又は性質において一般の市町村が処理することが適当でないと認められるものを処理する(地方自治法(第2条第5項))。

しかし、「都」・「道」・「府」・「県」という「単位」の定義が、地方自治法には明記されていない。

2009年04月24日

ミランコビッチの説では

従来のミランコビッチの説では10万年周期が支配的な時期が過去8回あったことの説明が難しい。Muller と MacDonald らの研究 ([3], [4], [5]) では、それは軌道の計算が2次元的な手法に基づいているからであり、3次元的な解析を行えば傾斜角にも10万年周期が現れると指摘している。彼らは、これらの軌道傾斜角の変化が日射量の変化を導いていると述べており、同様に太陽系のダストバンドと地球軌道との交差が影響している可能性も提示した。これらは従来提唱されてきたメカニズムとは違うものだが、計算結果は「予言されていた」最近40万年間について得られているデータとほぼ同じ結果を示している。Muller 及び MacDonald の理論は Rial ([6], PDF) により反論されている。

他には Ruddiman が10万年周期をもっともらしく説明するモデルとして、2万3000年の歳差運動の周期に対する離心率(弱い10万年周期)の変調効果が、4万1000年と2万3,000年の周期でおこる温室効果ガスのフィードバック効果と結びついたという説明をしている。

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また、他の理論では Peter Huybers による研究が進んでおり、4万1000年周期がいつも優勢なのであるが、現在は2番目か3番目の周期だけでも氷期へのトリガーとなりうる気候モードに入っているということを議論している。この研究では、10万年周期は8万年と12万年の周期が平均されているものを本当は錯覚しているのではないかと暗示している。この理論は年代測定の不正確さが存在することと整合した矛盾の無いものであるが、現在のところ広く受け入れられているわけではない
更新世の氷期と間氷期には名前がつけられている(最近のものから古い順に並べられている。「/」の前の名前はアメリカ名、後ろはヨーロッパ名。年代は単位1000年)。イギリスや東ヨーロッパ、アルプスでは他の名前が使われている。

南北の大陸氷床の発達により、最近の氷期間氷期では海水準が大きく変動したことが知られている(ただし時代を遡ると地殻変動の影響が無視できなくなる)。蒸発した海水が両極に氷床として固定されるため、地上の海水の体積全体が減少し、結果として世界的に海水準が低下する。反対に氷期の終了に伴って融解水が海洋に還元されると海水準は上昇する。酸素同位体比曲線によって示される氷床量の変動は、特に新しい時代になるにつれて、世界的な海水準の変動を反映しているといって良い(上記「過去およそ5百万年間の氷期間氷期の変動」グラフ参照)。その変動幅は最近の氷期では100m以上におよぶ。

日本近海では、太平洋と日本海を結ぶ海峡の深度が浅いため、少なくとも過去数十万年の間の氷期では、海水準の低下に伴って対馬暖流の流入が止まり、気候に大きく影響を与えた。氷期には寒冷化のために亜寒帯林が西日本まで分布していた。また、対馬暖流が流入しないため(現在の日本海側の降雪は対馬暖流の蒸発量に影響を受ける)氷河は日本アルプスおよび北日本の高地にわずかに発達するのみであった。それでも、これらの氷河が最終氷期に形成したカールやモレーンなどの氷河地形は現在の日本アルプスや日高山脈で明瞭に確認することができる。

最も後の氷期は最終氷期とも呼ばれる。最終氷期の終了後、人類が定住し農業が発展するという出来事が起こった。このことは農業の発達が人類の生活様式と深い関係があるということであろう。

2009年04月07日

ラテン・ポップ

ラテン・ポップとは、主としてラテンアメリカ及びイベリア半島のポピュラー音楽のことで、それを総称したものである。

主としてスペイン語およびポルトガル語で歌われるものが多いが、それらの影響を受けたものであれば英語などの言語で歌われたものも含まれる。また、非スペイン語圏のアーティストでもスペイン語で歌われるものであれば含まれることが多い。また イタリア語のものを含む場合もある。音楽的には、ラテン音楽を融合させたロック・ポップ調のものから、欧米のポップスと変わらないようなものまであり、幅広い。

日本国内においては、ラテン・ポップといえばスペイン語圏に限り、ポルトガル語圏のポピュラー音楽を含めないと解されることが多いが、世界的に見ればブラジルやポルトガル本国も含まれる。本項においては、日本国内の観点からスペイン語圏のアーティストを列挙する。
ラテン・ポップ・アーティスト [編集]

アメリカ [編集]
マーク・アンソニー
セレーナ
ジェニファー・ペーニャ
ジャキ・ベラスケス

アルゼンチン [編集]
コティ・ソロキン
ディエゴ・トーレス
ミランダ!

イタリア [編集]
ラウラ・パウジーニ

ウルグアイ [編集]
ナタリア・オレイロ

キューバ [編集]
グロリア・エステファン
セリア・クルース
ジョン・セカダ

グアテマラ [編集]
リカルド・アルホナ

コロンビア [編集]
カバス
シャキーラ
ソラヤ
バシーロス
カルロス・ビベス
フアネス
フォンセカ

スペイン [編集]
アマラル
アンディ&ルーカス
エンリケ・イグレシアス
フリオ・イグレシアス
アレックス・ウバゴ
エストパ
ラ・オレハ・デ・バン・ゴッホ
アントニオ・オロスコ
オンブレス・ヘ
エル・カント・デル・ロコ
ラ・キンタ・エスタシオン
ラス・ケチャップ
アレハンドロ・サンス
アナ・トローハ
メカーノ
ダビッド・ビスバル
プレスントス・インプリカードス
ベベ
ロサーナ

メキシコ [編集]
エレファンテ
カフェ・タクーバ
クリスティアン・カストロ
アレハンドラ・グスマン
シン・バンデーラ
タリア
ナタリア・ラフォルカデ
ハグアレス
フェイ
アレハンドロ・フェルナンデス
フリエッタ・ベネガス
ベラノバ
ルイス・ミゲル
パウリナ・ルビオ
レイク
レベルデ

プエルトリコ [編集]
ドン・オマール
オルガ・タニョン
チャヤン
ルイス・フォンシ
リッキー・マーティン
ダディ・ヤンキー

ベネズエラ [編集]
リカルド・モンタネール

いしゅく モルゲン ソニック サシン プラウザー チャプ ノビル すいたい イルク トンブ じゅんさい エンジンシ テクニ クロス リーファ 青皮栗 きんし リターン ラリマール セリバシー ステンド トローク モーグル イヌツゲ リズム バスタブ スペース たまねぎ SEOハツ アオクサ ショット アップ オートモ ファイト リケッチア ぬく森 吾亦紅 ビリンビン ガロン ハナズオウ シェー シュピ へいどん ゲーター カレッジ レジデ カヌー マウンテン はなさか ハハコ

2009年03月23日

特別車2両+一般車4両

2008年12月27日のダイヤ改正から、中部国際空港発着の2000系以外の全特急列車を「一部特別車」編成(特別車2両+一般車4両)とするという計画に基づき、1600系から改造・改番された。

3両編成組成されていた1600系のうち2008年度中に豊橋方先頭車(ク1600形)4両を廃車とし、残った2両(モ1700形+サ1650形)×4本を改造のうえ1700系「特別車」として整備したものである。

これに新造の「一般車」4両組成の2300系を加え、1700 - 2300系6両編成の「一部特別車」となった[1][3]。

改造のねらいと背景 [編集]
1600系はもともと乗客の少ない路線での運用を目的として3両編成で製造された車両であるため、改造と組成変更にあたって余剰車の発生が避けられなかった[4]。

これにより、余剰となったク1600形4両は転用先や譲渡先が見つからなかったため、登場から9年で使命を終えることとなった。ク1600形の台車や電動空気圧縮機、蓄電池などの一部の機器は新製された2300系に転用された。また、モ1700形に設置されていた自動解結装置および操作盤はモ2330形に移設されている。
ネオコ ダーリン ビザン じゅうも リューマ しゃかとう バウン シミュ クロレ スクウィ チンキキ バニリン ドレミ 喜びの泉 レプトン デニン プレス インビボ 太陽の記憶 スイーター スリーパー タイア レジャ リアシ リッター パール ブース ミクロ シネマイ ハーフ ブラック ゼニア シャンペン ひだまり ユーラ オービ キシロ みそぎ パドバ 太秋柿 ガールフ カーボン ケルベ ステゴドン プロト セラピー ショーウ サーチリス ラフト ラゲージ

方向転換により豊橋・中部国際空港方となった運転台付きの電動車モ1700形をもって新たに1700系の系列名が与えられたが、それに続く中間付随車は1650形のままで改造による改番などは行われておらず、1700系となった系列呼称との間で上2桁の番号のずれが生じている
改造にあたり鋼体にはほとんど手が加えられていないが、下記の改造が施工された。

全車共通
室内の見付けは2200系特別車とは異なるが、中部国際空港アクセス輸送を考慮して一部の座席を荷物置き場に変更するなど2200系2次車の特別車に準じた仕様となっている。

車両両端の一人掛け座席がサ1650形の1か所(車椅子対応)を残して撤去され、代わりに荷物置き場(モ1700形4か所、サ1650形3か所)が設置された。改造後の定員はモ1700形が48名、サ1650形が45名となった。なお、モ1700形はモ2200形に比べて全長が長いため座席1列分4名定員が多い。

座席のヘッドレストカバーは「パノラマSuper」のロゴの入ったものから「MEITETSU」のCIロゴの入ったものに変更された。

また、車体側面の号車番号表示は7セグメントマグサイン式からマグサイン風のステッカー貼付とされた。

車体外部の塗装は2200系に揃えられ、前頭部が黒、貫通扉周りが銀、側面は白で、前面隅と屋根肩部分に赤帯を配している。2200系の特別車にあるような号車番号表示を兼ねる大きな「1」や「2」のロゴは表記するスペースがないため採用されなかった。 客用ドア閉扉時の自動アナウンスは「扉が閉まります、ご注意下さい」から、「ドアが閉まります、ご注意下さい」に変更された。同時に「ドアが開きます、ご注意下さい」開扉時自動アナウンスも追加された。

全車特別車編成時代には車内チャイムは1種類のみだったが、2200系同様に中部国際空港行き専用チャイムが追加された。

種別・行先表示器については改造前の字幕式で存置されているが、今後の検査入場時に前面表示器についてはLED式に変更される予定である。

モ1700形
前面貫通扉下部に設置されていた「パノラマSuper」の電照表示器[6]、自動幌装置とM式自動解結連結器が撤去され、それに伴い排障器(スカート)下部の左右は一体化された。パンタグラフはシングルアーム式で、位置は引き続き前頭側である[7]。

警笛は、デュアルトーン(和音)の空気笛とミュージックホーンを装備する[8]。

従来より搭載していた出力200kWのかご形三相誘導電動機は継続使用されるが、MT比の変更に伴いそのままでは過剰性能となるため、2300系の加速特性に合わせてVVVFインバータ装置の制御プログラムが変更されている。歯車比は変更されていない。

サ1650形
パンタグラフと車内の清涼飲料水自動販売機を撤去、車輪は防音車輪に変更された。側面には2000系・2200系同様に「Series 1700」のエンブレムが貼付された。

特徴としてはパンタグラフの撤去跡の空間である。なお、撤去されたパンタグラフは2300系に転用された。

また改造ではないが、方向転換によってトイレと洗面所の位置が2200系と同じ配置になった。

旧1601F
2000系に対して2200系がそうであるように、「一部特別車特急」では一般席車における立席乗客もあるため車体傾斜制御装置は撤去された。

旧1601F以外の編成についても車体傾斜装置追加設置に対する準備工事がなされていたが、それら関係機器についても同時に撤去された。

2009年03月07日

アムステルダム (軽巡洋艦)

アムステルダム (USS Amsterdam, CL-101) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。クリーブランド級軽巡洋艦の23番艦。

艦歴
アムステルダムは1943年3月3日にバージニア州ニューポートニューズのニューポート・ニューズ造船所で起工する。1944年4月25日にウィリアム・E・ハーセンフス夫人(ニューヨーク州アムステルダムの最初の「戦死者の母 Gold Star Mother」。息子のウィリアム・E・ハーセンフス・ジュニアを日本軍の真珠湾攻撃で失った。)によって進水し、1945年1月8日にバージニア州ポーツマスのノーフォーク海軍工廠でアンドリュー・P・ロートン艦長の指揮下就役する。
フィーバー プレイン ニソガラ てっさく ヒット ロイター 花いちもん スダコタ まんば 甘露国内 ダウト 茜色の約束 イコン デジポ 田園列車 ライプチヒ スキャ ジンビター ププス セレナーデ チガヤ ジャスト ドライカ サンカ デッド 場春夢 スーパー カジスカ ピアサポト マンボウ モンド クロミッド タロミクス せっせっせ レーン ナイト いまさく リース あずきいろ カートリ チューハ レビュ フィン ふすまえ シャブシ カーソル ベロニカ キャリ バビロニ キャラ

バージニア州ノーフォーク沖で艤装が完了すると、アムステルダムは2月5日に出航しチェサピーク湾で整調訓練を行う。2月17日にハンプトン・ローズを出航しトリニダードへ向けて整調訓練の後半に入る。アムステルダムはトリニダードで3月13日まで活動しその後ノーフォークに帰還する。この帰路途中にクレブラ島沖で砲撃訓練を行い、ノーフォークには20日に到着した。ニュージャージー州メイ岬へ砲撃訓練のため巡航した後、3月24日にノーフォーク海軍工廠入りし信頼性試験を行う。

アムステルダムは4月20日にチェサピーク湾での演習に向けてノーフォークを出航し、4日後にカリブ海へ向かう。クレブラ島沖、グアンタナモ湾で訓練演習を行った後パナマ運河に向かい5月5日に通過する。5月18日に真珠湾に到着し、ハワイ水域に留まり多くの砲撃訓練、戦術演習を行う。

6月9日にアムステルダムはレイテ島、フィリピンに向けて出航する。21日にサンペドロ湾に到着し、第3艦隊に合流する。物資及び燃料を補給し、7月1日に第38任務部隊に配属、日本本土攻撃部隊の対空護衛任務に就く。7月10日、航空機部隊は日本軍の飛行場、軍需施設及び艦艇への攻撃を開始する。この戦闘期間にアムステルダムは日本軍の地上及び水上攻撃から空母部隊を護衛した。部隊は東京、呉、神戸、大阪などの都市を攻撃し、8月15日の終戦時に第38任務部隊は東京への攻撃準備中であった。

続く数週に渡ってアムステルダムは本州の東部水域に留まり、休戦交渉の間に考えられる日本軍の攻撃を警戒した。アムステルダムは9月5日に東京湾に入港し、20日まで停泊した。その後帰国の途に就き、沖縄の中城湾と真珠湾を経由し帰還兵を乗艦させ、10月15日にオレゴン州ポートランドに到着する。ポートランドに二週間停泊し、海軍記念日の式典に参加後29日にカリフォルニア州サンペドロに向かう。

アムステルダムは11月1日にサンペドロに到着する。調整、維持作業の後11月19日に西海岸を出航し真珠湾に向かう。25日に真珠湾に到着し帰還兵と機材を積み込むと12月12日に出航、18日にサンペドロに到着し1946年初めまで停泊する。1946年1月21日、アムステルダムはサンフランシスコに向かう。到着直後乗組員は不活性化および太平洋予備役艦隊入りするための作業に入る。アムステルダムは1947年6月30日に退役し、サンフランシスコで保管される。1971年1月2日に除籍され、1972年2月11日にカリフォルニア州ターミナル・アイランドのナショナル・メタル・アンド・スチール社に売却され、その後スクラップとして廃棄された。

2009年02月19日

エンタープライズ (スタートレック)

U.S.S.エンタープライズ (U.S.S. Enterprise) は、『スタートレック』シリーズに登場する航宙艦。
ミクロ ノミネー トップ ミゼラブ パビリ フルセッセ 南瓜 シナプス ブーツ ドミニ しんちょ じょうへん ビデア ころどこ ノーシード ククル シューズ ピリミジン レーシズム オーバ モチノキ ジョーンズ ティマイオ サファリジ ウイグル ストリ サーチ バーボ ダイパーズ 勿忘草 サイドス るじゅつ テキサス デビル ゴジラ しいたけ リスト きびざけ にしき パンハ ミラクル ジオラマ オートマト テディー ヒメウ シャツラ サニー ルーム フランベ 湾岸

『宇宙大作戦』の主役船として登場し、その多大な功績から宇宙艦隊の象徴的な艦と位置づけられ、以後の時代でもその名を受け継ぐという形で、同名の宇宙船が多数登場している。無論、エンタープライズ以外にも同名で別世代の艦は存在するが、登録番号「NCC-1701」まで受け継いでいるのはエンタープライズのみである(『新スタートレック』に登場したU.S.S.ヤマトもNCC-1305-Eという登録番号の受け継ぎを示唆する番号がつけられていたが、後にギャラクシー級に設定変更になった際にNCC-71807に変更されている。[1])。なお、USSとは「惑星連邦宇宙船(United Federation of Planets Star Ship)」の略である(アメリカのSFであるため「United States Ship」(合衆国海軍船)をそのまま持ってきたものだ、また「United Space Ship」の略であるとする意見もある)。

円盤状の「第1船体」(円盤部)と紡錘状の「第2船体」(機関部)を「ドーサルネック」で繋ぎ、第2船体後部から伸びた2本の「パイロン」の先端にそれぞれ「ワープ・ナセル」がある船型は多少のアレンジを加えつつも継承され、惑星連邦宇宙船の基本デザインとなっている。なおメイン・ブリッジは第1船体の中央最上部にある。

エンタープライズ XCV-330
クラス:不明
活動期間:21世紀後半
登場作品:『スタートレック (映画)』
改装後のNCC-1701のレクリエーションデッキに歴代「エンタープライズ」を描いたパネルに登場した。後述のスペースシャトル・オービタとNCC-1701の間に展示されている。NX-01よりは古い時代の船のようである。

エンタープライズ NX-01
クラス:NX級
活動期間:2151年?2161年
船長:ジョナサン・アーチャー
登場作品:『スタートレック:エンタープライズ』
要目

全長:225m
乗員:83名
最高速度:ワープ5(旧ファクター)
円盤状の主船体から後方に左右2本の細い棒状の船体が伸び、その後端から左右の船体を繋ぐバーとワープ・ナセルを支えるパイロンが出ている。

『スタートレック:エンタープライズ』の主役艦。惑星連邦設立前(22世紀)の船であるため、本艦に「U.S.S.」はつかない。所属は、地球連合宇宙艦隊。地球船で初めてワープ5エンジンを搭載(ジョナサン・アーチャーの父ヘンリーが設計に携わった)。なお、『宇宙大作戦』以前の時代設定のため、それにあわせ原語の「Captain」は、「艦長」ではなく「船長」と訳されている。2151年就航。 同型船に「コロンビア NX-02」がある。

ワープ速度に関しては、第23話「追放された者への祈り」ではじめてワープ・ファクター5.0を記録、88話「バベル1号星」で5.06とワープ5の壁を越えた。そして、91話「クリンゴンの苦境」と92話「優生クリンゴン」ではワープ5.2を記録している。91、92話を除きワープ5を超えたのは敵に追われ振り切るために使われた(23話ではマザール人、88話ではロミュラン人)。91、92話ではクリンゴン人により、インジェクター故障、ワープマトリックス汚染の為、ハイワープを維持しなければならずワープ5以上を出した。

U.S.S.エンタープライズ NCC-1701
クラス:コンスティテューション級
活動期間:2245年?2285年
船長:ロバート・エイプリル、クリストファー・パイク、ジェイムズ・T・カーク、ウィラード・デッカー、スポック
臨時指揮官:マット・デッカー准将、ストッカー准将など
登場作品:『宇宙大作戦』、『スタートレック (映画)』、『スタートレックII カーンの逆襲』、『スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!』
要目(改装前/改装後)

全長:288.6m/304.8m
全幅:127.1m/141.7m
全高:72.6m/71.3m
デッキ数:21/23
乗員:430名/500名
最高速度:ワープ8.0/ワープ12(旧ファクター)
改装(refit)による外見の違い

ワープナセルが円柱状から直方体に近い形となり、オレンジ色の発光が青の発光へ変わった
第2船体の円筒部分の直径が大きくなり、太くなったように見える
パイロンに後退角が付くようなった
デフレクターがパラボラから、青い発光体となった
全体的に「丸い」外見から「角張った」外見となった
認識番号、艦名を記した字体が変更された
なお、バンダイから発売されていたプラモデルは改装型である。

『宇宙大作戦』の主役艦。2245年就役。カーク船長指揮の下、5年間に及ぶ深宇宙探査任務「5 years mission」を成し遂げる。映画版第1作では大々的な改装作業を経て、急遽ヴィジャーの地球接近を迎撃する(2271年)。その後、『カーンの逆襲』では連邦士官学校の練習艦として就役していた(2285年)。『スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!』で、クリンゴンのバード・オブ・プレイとの戦闘で著しく損傷したため、投降すると見せかけ、クリンゴン人クルーを艦内におびき寄せた上で自爆する。 なお、原語の「Captain」はTV版は「船長」、映画版は「艦長」と訳されている。

U.S.S.エンタープライズ NCC-1701-A
クラス:コンスティテューション級(改装型)
活動期間:2285年?2293年
艦長:ジェイムズ・T・カーク、スポック
登場作品:『スタートレックIV 故郷への長い道』、『スタートレックV 新たなる未知へ』、『スタートレックVI 未知の世界』
要目

全長:304.8m
全幅:141.7m
全高:71.3m
デッキ数:23
乗員:500名
最高速度:ワープ12(旧ファクター)
自爆したNCC-1701を受け継ぐ形で、建造中であったU.S.S.ヨークタウンを、提督から大佐に降格となったジェームズ・カークの乗艦として急遽改名した艦。 2285年就役。

U.S.S.エンタープライズ NCC-1701-B
クラス:エクセルシオール級(改装型)
活動期間:2293年?不明
艦長:ジョン・ハリマン
登場作品:『ジェネレーションズ』
要目

全長:466.6m
全幅:185.9m
全高:77.7m
デッキ数:32
乗員:570名
最高速度:ワープ14(旧ファクター)
エクセルシオール級になったため、初代及びA型に比べてドーサルネックが太く、パイロンは真横に伸びてから上に曲がっている。

『ジェネレーションズ』に登場。装備が不十分なままでの処女航海で謎のエネルギーリボンに遭遇。付近に居たエル・オーリアンの難民を乗せた輸送船を救助するが、リボンから逃れる際、ゲストで乗船していたジェイムズ・T・カークが行方不明になる。なお、ナビゲイターは、NCC-1701で主任ナビゲイターを務めたヒカル・スールーの娘、デモラ・スールーが任った。その後、この艦は142もの星系の探索と星図の作成、さらに17の文明とのファーストコンタクトを成し遂げたとされている[2]。2293年就航。

U.S.S.エンタープライズ NCC-1701-C
クラス:アンバサダー級(初期型)
活動期間:2332年?2344年
艦長:レイチェル・ギャレット
臨時指揮官:リチャード・カスティーヨ大尉
登場作品:『新スタートレック』
要目

全長:525.8m
全幅:321.9m
全高:133.2m
デッキ数:34
乗員:700名
最高速度:ワープ14(旧ファクター)
2332年、地球軌道上のマッキンレー造船所で就航。 ロミュラン人とクリンゴン人の紛争で、ナレンドラ3号星のクリンゴン基地がロミュランの攻撃を受けた際に、単艦でクリンゴンの援助に向かった。しかし複数のロミュラン艦に撃沈される。名誉を重んじるクリンゴン人は同艦の犠牲により、惑星連邦を「名誉ある者」、防衛手段を持たない基地を襲撃したロミュラン星間帝国を「恥ずべき者」とした。これは、クリンゴン帝国と惑星連邦の友好関係を決定的とし、クリンゴンとロミュランの決裂も決定的とした。 歴代U.S.S.エンタープライズの中では、唯一映画に登場していない。

U.S.S.エンタープライズ NCC-1701-D
クラス:ギャラクシー級
活動期間:2364年?2371年
艦長:ジャン=リュック・ピカード
臨時指揮官:ウィリアム・ライカー中佐、エドワード・ジェリコなど
登場作品:『新スタートレック』、『スタートレック:ディープ・スペース・ナイン』、『ジェネレーションズ』
要目

全長:641m
全幅:467.1m
全高:137.5m
デッキ数:42
乗員:760名(乗員家族など一般人含まず)
最高速度:ワープ9.8
第1船体はやや横に長い楕円で、ドーサルネックとの接続部はこれまでの艦より後ろに寄っている。第2船体も偏平でリフティングボディのようになっており、パイロンは滑らかに上へカーブし、先端部は前進翼のようになっている。ドーサルネック上部にバトルブリッジがあり、第1船体を分離して残った部分をここから指揮することができる。

『新スタートレック』の主役艦。 2363年、火星のユートピア・プラニシア宇宙艦隊造船所で完成。 U.S.S.ギャラクシー、U.S.S.ヤマトに次ぐギャラクシー級の3番艦として就航。 ヴェリディアン3号星の衛星軌道上で、同艦のウォーフ少佐の政敵であるデュラス家のルーサ (Lursa) とベトール (B'Etor) が指揮するD12型のクリンゴン・バード・オブ・プレイと交戦。 通常ならエンタープライズの圧勝のはずだったが、直前にソラン博士に改造されたバイザーを装着したラフォージが帰還、博士により改造されたバイザーから艦内の映像が流出して、ディフレクター・シールドの暗号周波数を解読されてしまう。 周波数を同期させるよう調整された敵の兵器に対し防御シールドは役に立たず苦戦を強いられるも、ウォーフ少佐の敵の弱点を突いた攻撃により辛くもデュラス姉妹を退けた。 しかし貫通弾により受けたワープコア冷却システムへの損傷が致命傷となり、ワープコアの崩壊により第2船体は爆発。直前に緊急分離した第1船体はワープコア爆発の衝撃波により軌道を乱され、操舵コントローラーも故障したままヴェリディアン3号星の大気圏に突入して不時着し[3]、大破喪失したが、人的被害は最小限に留まった模様(『スタートレック ジェネレーションズ』)。

連邦宇宙船としての歴代エンタープライズ号の中では最も長く映像に登場した同艦であるが、活動期間が不明のB型、2379年(『ネメシス/S.T.X』)の時点で現行のE型を除くと、意外にも活動期間が最も短いエンタープライズ号である。

U.S.S.エンタープライズ NCC-1701-D改
(フューチャー・エンタープライズとも。「改」はあくまで日本語での便宜上の表記)

クラス:ギャラクシー級(ドレッドノート型)
艦長:ウィリアム・ライカー提督
登場作品:『新スタートレック』
『新スタートレック』最終回に登場。Qが見せた「可能性の未来」でのエンタープライズD。提督に昇進したウィリアム・T・ライカーが、廃棄されるところを私物化したもの。ワープ・ナセルが第2船体中央に1機増設され3基となった他、第1船体上部にフェイザー砲2門、第1船体下部にクリンゴンの新型戦艦ネグヴァ級を一撃で爆砕する程の威力を持ったスーパー・フェイザーキャノン1門が増設されるなど、戦闘向きの大改修を施されているのが特徴。遮蔽装置も搭載されている。物語上では我々から見たエンタープライズDはヴェリディアン星系で大破し、船名をソヴェリン級のエンタープライズEに継承しているので、あくまでパラレルワールドのみの存在となる。

U.S.S.エンタープライズ NCC-1701-E
クラス:ソヴェリン級
活動期間:2372年?
艦長:ジャン=リュック・ピカード
登場作品:『スタートレック ファーストコンタクト』、『スタートレック 叛乱』、『ネメシス/S.T.X』

U.S.S.エンタープライズ NCC-1701-J
クラス:不明
活動期間:26世紀
登場作品:『スタートレック:エンタープライズ』
異次元宇宙からの侵略者である球体創造者との戦闘(プロシオン5の戦い)に参加。 なお、U.S.S.エンタープライズJが存在することから、この時間軸上では“E”から“J”の間にU.S.S.エンタープライズ“F”、“G”、“H”、“I”があったものと思われる。

備考
『宇宙大作戦』とそれ以降の作品とではワープ速度の表示方法が異なる。前者はワープ係数の3乗(例:ワープ10=光速の1000倍)なのに対し、後者はワープ9までは10/3乗で計算しワープ10を無限速、つまり到達不能な速度と定義している為、数字が同じでも後者の方が速く、数字が大きくなるほどその差は急速に増大していく。

HMSエンタープライズ
史上初めて「エンタープライズ」の名をつけられた18世紀初頭のイギリス海軍の軍艦(帆船)。スペルはENTERPRIZE。なお、『ジェネレーションズ』で、ウォーフ大尉の少佐昇進を祝うホロデッキでのセレモニーに登場した艦は19世紀に造られたもの(つまり、2代目)をモデルにしており、この艦とは別物である。

U.S.S.エンタープライズ CVN-65
世界初の原子力航空母艦。『スタートレックIV 故郷への長い道』に登場。バード・オブ・プレイの推進エネルギーを得るため、チェコフとウフーラが潜入した。

NASAエンタープライズ OV-101
スペースシャトル・オービタの初号機。惑星連邦設立前(20世紀)の船であるため、本船に「USS」はつかない。トレッキー(熱烈な『スタートレック』ファン)の署名運動によって、スペースシャトルの初号機はエンタープライズと命名された。しかし、初号機だったため、大気圏内のテスト飛行にのみ使われ、結局宇宙空間には旅立っていない。滑空試験のためシャトル輸送機(大型航空機の上面に乗せられている)から空中分離する映像は有名である。

いずれのエンタープライズも映画版第1作でレクリエーションデッキにある歴代「エンタープライズ」を描いたパネルに登場したのをはじめ、『スタートレック:エンタープライズ』のオープニング映像にもそのイメージが登場する。

パロディ
アニメ『機動戦士ガンダム』に登場するジオン公国軍の宇宙巡洋艦ムサイは、エンタープライズをさかさまにしたものをモデルにしている。
鳥山明の『Dr.スランプ』に登場する「スコップくん」の自宅もエンタープライズを逆さにしたもの。ワープエンジン・ナセルが煙突になっていた。
ビデオゲーム『ギャラガ』のチャレンジングステージの最終ステージに登場する敵キャラ「エンタープライズ」はそのまま

2009年02月03日

明徳の乱(めいとくのらん)

明徳の乱(めいとくのらん)は、室町時代の明徳2年(1391年)に山名氏清、山名満幸ら山名氏が室町幕府に対して起こした反乱である。内野合戦とも呼ばれる。

山名氏は新田氏の一族であったが、山名時氏のとき鎌倉幕府に対する足利尊氏の挙兵に従い、その後の南北朝の争乱でも足利氏に味方して功があった。観応の擾乱では足利直義に加担して戦う。直義の死後は幕府に帰参するが、再び叛いて南朝に降って一時は京を占領する勢いを示した。その後、足利直冬を助けて戦い山陰地方に大きな勢力を張った。二代将軍足利義詮の時代に切り取った領国の安堵を条件に室町幕府に帰順。時氏は因幡国・伯耆国・丹波国・丹後国・美作国の五カ国の守護となった。
イタ飯 タップ ナビトーチ レザー ひなづる メンド オラト 若き獅子 スイセン お山 シャシー フェタミン ブルージー ハリファ シンガ マニュ チリ バカンス スタバ ピアプ プラス シュード チェス シャトル ブレン プライス ビング 風神雷神 パライパ リンプ フォッ サラバード トシン バンド チロル もうげつ ラザニ ルサロ もみがら プルーフ アップ セクター ハーベ ローション インター ザクロ ブロカ ジェラー モルダビア ファー

時氏の死後も山名氏は領国を拡大する。惣領を継いだ長男の師義は丹後国・伯耆国、次男の義理は紀伊国、三男の氏冬は因幡国、四男の氏清は丹波国・山城国・和泉国、五男の時義は美作国・但馬国・備後国の守護となった。師義の子の満幸は新たに播磨国の守護職も得ている。全国66カ国のうち11カ国で山名氏が守護領国となり「六分一殿」と呼ばれた。

将軍権力の強化
室町幕府の将軍は守護大名の連合の上に成り立っており、その権力は弱体なものであった。応安2年(1369年)に三代将軍に就任した足利義満は将軍権力の強化を図った。

康暦元年(1379年)、康暦の政変により幕府の実権を握っていた管領細川頼之が失脚する。義満は細川氏と斯波氏の対立を利用して権力を掌握。直轄軍である奉公衆を増強するなどして着実に将軍の権力を強化した。

これに加えて、義満は勢力が強すぎて統制が困難な有力守護大名の弱体化を図る。嘉慶元年(1387年)幕府創業の功臣であり、美濃国、尾張国、伊勢国三カ国の守護である土岐頼康が死去した。康行が後を継いだが、義満は土岐氏一族が分裂するように仕向けて挑発して康行を挙兵に追い込み、康応元年(1389年)義満は康行討伐の命を下して、翌明徳元年(1390年)にこれを下した(土岐康行の乱)。

義満の次の狙いは11カ国を領する山名氏であった。

山名氏の内紛
山名氏の惣領の師義は永和2年(1376年)に死去し、その子の義幸、氏之、義熈、満幸は若年であったため、中継ぎとして弟の時義が惣領となった。これに対して、氏清とその婿の満幸が不満を示す。

康応元年(1389年)惣領時義が死去。明徳元年(1390年)義満は時義が生前将軍に対して不遜であり、後を継いだ時熙とその弟の氏幸も不遜な態度が目立つとして、氏清と満幸に討伐を命じた。

時熙と氏幸は挙兵して戦うが、氏清が時熙の本拠但馬、満幸が氏幸の本拠伯耆を攻め、翌明徳2年(1391年)に時熙と氏幸は敗れて没落した。

戦功として氏清には但馬国と山城国、満幸には伯耆国と隠岐国の守護職が新たに与えられた。

義満の挑発
山名氏を分裂させて時熙と氏幸を追放したが、氏清と満幸の勢力が強まってしまった。義満は、今度は氏清と満幸に対して巧妙な挑発を行っていく。

明徳2年(1391年)逃亡していた時熙と氏幸が京に戻って清水寺の辺りに潜伏して義満に赦免を嘆願。義満がこれを許そうとしているとの噂が広まった。氏清は不安になり、同年10月の義満を招いての宇治の紅葉狩りを直前になって病を理由に中止してしまい、義満の不興を買う。

同年11月、満幸の分国出雲国において後円融天皇の御料である仙洞領横田庄を押領して、御教書にも従わなかったとの理由で、満幸は出雲守護職を剥奪され京から追放されてしまった。怒った満幸は舅の氏清の分国和泉の堺へ赴いて「昨今の将軍のやり方は、山名氏を滅ぼすつもりである」と挙兵を説いた。氏清もこれに同意して一挙に京へ攻め上ることを決意する。満幸を分国丹波へ帰国させて丹波路から京へ攻め寄せる準備をさせ、氏清は堺に兵を集めるとともに、紀伊守護の義理を訪ねて挙兵を説いた。義理は躊躇するが遂に同意した。氏清は大義名分を得るために南朝に降り、錦の御旗を下賜される。

幕府に氏清、満幸謀反の報が12月19日に丹後国と河内国の代官より伝えられた。幕府重臣らは半信半疑であったが氏清の甥の氏家(因幡守護)が一族と合流すべく京を退去するに及んで洛中は大騒ぎになり、重臣たちも山名氏の謀反を悟る。

12月25日、義満は軍評定を開き、重臣の間では和解論も出た。氏清と満幸を挑発して挙兵に追い込んだ義満だが、必勝を確信していたわけではなかった。山名氏の勢力は強大であり、時氏の時代には山名氏の軍勢によって二度も京を占領されている。義満は和解論を退け「当家の運と山名家の運とを天の照覧に任すべし」と述べて決戦を決める。
内野合戦

明徳の乱合戦図拡大幕府軍は京へ侵攻する山名軍を迎え撃つべく主力5000騎を旧平安京の大内裏である内野に置き、義満と馬廻(奉公衆)5000騎は堀川の一色邸で待機した。

山名軍は決戦を12月27日と定めて、氏清の軍勢3000騎は堺から、満幸の軍勢2000騎は丹波から京へ進軍した。丹波路を進む満幸の軍勢は26日には内野から三里の峯の堂に布陣する。氏清は河内守護代遊佐国長に阻まれて到着が遅れてしまい、軍勢の中からは脱落して幕府方に降参する者も出始める。

12月29日夜、到着が遅れた氏清の軍勢は淀の中島に至り三隊に分かれて京に進撃。満幸の軍勢は二手に分かれて京に攻めかけた。闇夜の進軍のため各隊の連係は乱れがちで各個に京へ突入することになった。

12月30日早朝、山名義数、小林上野介の700騎が二条大宮に攻め寄せて、大内義弘の300騎と激突して合戦が始まった。大内勢は下馬して雨のように矢を射かけた。乱戦となり劣勢となった山名義数、小林上野介は討ち死に覚悟で突撃。大内義弘は小林上野介と一騎討ちをして負傷しながらもこれを討ち取った。山名義数も討ち死にして、山名軍は緒戦で敗れてしまう。義満は大内義弘の武勇を賞して太刀を与えた。

次いで、満幸の軍勢2000騎が内野へ突入した。守る幕府軍は細川、畠山、京極の3000騎で激戦となるが、義満の馬廻5000騎が投入されて勝敗は決した。敗れた満幸は丹波へ落ちた。

氏清の軍勢2000騎は二手に分かれて突入。大内義弘、赤松義則の軍勢と衝突する。氏清は奮戦して大内、赤松の軍勢を撃退。幕府に帰参していた山名時熙が50騎を率いて参戦し、8騎に討ち減らされるまで戦い抜いた。劣勢になった大内、赤松は義満に援軍を要請、一色と斯波の軍勢が加勢して幕府軍は盛り返す。氏清の軍勢は浮き足立ち、義満自らが馬廻とともに出馬するに及び潰走した。氏清は落ち延びようとするが、一色勢に取り囲まれて一色詮範に討ち取られた。

こうして、1日の合戦で山名氏は敗れ去った。幕府軍の死者は260人余、山名軍の死者は879人であった。

戦後
明徳3年(1392年)正月、論功行賞が行われ、丹波国は細川頼元、丹後国は一色満範、美作国は赤松義則、和泉国・紀伊国は大内義弘、但馬国は山名時熙、因幡国は山名氏家、伯耆国は山名氏幸、隠岐国・出雲国は京極高詮にそれぞれ与えられた。11カ国の守護領国を誇った山名氏は僅か三カ国に減らされてしまった。

また、義満が増強していた直轄軍の馬廻(奉公衆)はこの戦いで大いに働き、将軍権力の力を示した。

同年2月、山名義理は紀伊国で大内義弘に攻められて没落。応永2年(1395年)剃髪して僧になり九州の筑紫まで落ち延びていた満幸も捕らえられて京で斬られた。

その後も義満は応永6年(1399年)大内義弘を挑発して挙兵させて滅ぼし(応永の乱)、将軍権力を固めていく。

明徳記
「明徳記」は、太平記の流れを汲む軍記物語。著者不明で全3巻。同書は資料性は高いものの、幕府寄りの視点で書かれている。

2009年01月20日

ムクゲ(槿、木槿、無窮花、Hibiscus syriacus)

ムクゲ(槿、木槿、無窮花、Hibiscus syriacus)はアオイ科の落葉低木。日本では夏の御茶事の生け花として飾られたり、庭木として広く栽培されている他、胃腸薬、皮膚炎の薬としても用いられている。大韓民国の国花で、しばしば韓国の象徴とされ、国章にも意匠化されている。また、韓国内ではホテルの格付けなどの星の代わりにも使用されている。

中国、インドともいわれるが原産地は不明。中緯度の世界中の国々で、栽培されている。日本国内では、奈良県熊野川沿いに野性化したムクゲの一部が自生しているとの報告がある。夏から秋にかけて白、紫、赤などの美しい花をつける。薬用のほか、鑑賞用に多くの品種があり、栽培される。根が横に広がらないため、比較的狭い場所に植えることができる。自然樹形は箒を逆さにしたようになる(下記の樹形の例参照)。刈り込みにも良く耐え、新しい枝が次々と分岐する。そのため、庭の垣根に利用されることもある。

花期は7?10月。栽培されているものは、よく剪定されてしまうため、高さは3?4mくらいのものが多く、灌木であると誤解されるが、放置すると10m以上の樹高になり、桜の木よりすこし小さいくらいの大きさになる。花芽は、その年の春から秋にかけて伸長した枝に次々と形成される。花の大きさは10cm?18cmほどである。白居易(白楽天)の詩の誤訳から一日花との誤解があるが、朝花が開き、夕方にはしぼんで、また翌朝開き、一重のもので2?3日。八重の長く咲くもので2週間くらい、一輪の花を楽しめる。中国語で、木槿、舜、蕣、朝槿、朝蕣、朝鮮、ハングルで木槿(モックン)、無窮花(ムグンファ)、日本語では古くは朝顔(あさがお)、後に、木槿花(もくげ)、無窮花(むくげ)であるが、植物学では木槿(むくげ)と当て字をして読むのを和名としている。漢方薬の用語としては木槿花(もくきんか)、木槿皮(もくきんぴ)、槿花(チンファ)、槿皮(チンピ)として、胃腸薬や、水虫など皮膚炎の薬用に広く使われている。

漢文では、帝舜の名前に使われ徳を象徴する花として、儒教や道教であつかわれ、仏教の「一切空」の概念を表すシュニャータ(サンスクリット)の発音を舜若多と漢字で書くことから、仏教の基本原理を象徴する花とも考えられてきた。晩年は龍門(ロイメン)にある香山寺に住み、「香山居士」と号した白楽天の詩の一説は「槿花一日自成栄」槿花は一日で自から栄を成す(仏法があっというまにひろがったことの意)で「槿花一日的栄」槿花一日の栄ではない。

八坂神社の粽(ちまき)の御守りの代用の花、御茶事の花、生け花として、もとは源氏の武士の間で、今では一般に広く栽培されている。松尾芭蕉はアサガオには別の字を使っているので、江戸時代の中頃か、後期に木槿がこの花に使われるようになり、朝顔がつる草の一日花に使われるようになったのであろうと考えられる。

現在の韓国は、大朝鮮帝国を大韓帝国、大韓民国と変更してきており、国名がこの花を表していたことから、国花、国章としている。

園芸品種
ムクゲには多数の園芸品種が存在する。以下は比較的知られた品種名である。日本国外で作出された園芸品種も数多く存在する。
ニュー エイジ メダリスト スポラ ぽち袋 スモーカー ブックレ リピート ハナイカダ チェーン レーター トゥース フェンス 大蔵大根 ろくまい サンパウロ とわだ シロップ たかね トロライト ブッサ ブレー シュノ ゴツコーラ チューブ インソール シルク 黒かぼ 愛宕柿 モーター ローンチ ゲリララ ヒッコリ ピタ最適 リシック サーチ恋路 オクイ パーカ シンクロ パンチャー バリティー ミャン シート フラン アップ ハンマ ティッシモ デトロ 万寿国 ブルー

宗旦(そうたん) - 茶花として良く利用される。花は白地に赤である。
日の丸(ひのまる) - 白地に底赤で、一重の大輪。これは宗旦に含められることもある。
白一重(しろひとえ)
大徳寺一重(だいとくじひとえ)
大徳寺花笠(だいとくじはながさ)
赤花笠(あかはながさ)
白花笠(しろはながさ)
角倉花笠(すみのくらはながさ)
光花笠(ひかりはながさ)
きじばと
赤祇園守(あかぎおんのまもり)
白祇園守(しろぎおんのまもり)
紫盃(しはい)
大紫盃(だいしはい)
夏空(なつぞら)
シングルレッド
ブルーバード
レインボー
ピンク・デライト
レッド・ハート

生薬
樹皮を乾燥したものは木槿皮(もくきんぴ)、槿皮(チンピ)という生薬である。抗菌作用があり胃腸薬や水虫など皮膚炎の薬に配合される。
花を乾燥したものは木槿花(もくきんか)という生薬である。皮膚炎、胃腸炎、下痢止め等に用いる。